ブランシュは、ロランがオリヴィエの面会を許されたことを知ると怒りを露わにした。しかし今までの威勢のいい言葉は発さず、ただ内面がマグマのように湧き上がるが如く激怒した。授業はボイコットするようになり、テーブルマナーも悪くなり、オーレリーに食事抜きの罰を与えられ、腹いせのようにイレーヌに当たり散らした。仲裁に入ると、矛先がロランに向かい、宥めようとすればするほど激昂し暴れた。収拾がつかなくなりロランが押さえ付け、クレマンが鎮静剤を打つと、電池が切れたように意識を失った。
「オリヴィエに会わせてあげられないのですか」
 ロランが意識を失ったブランシュをベッドに横たえると、クレマンは首を横に振った。
「今、オリヴィエ様の状態も平行線を辿っています。ブランシュ様もとても落ち着いているとは言えません。今、二人を引き合わせたら逆効果です」
「しかし、ブランシュはこんなにもオリヴィエを求めているのに」
「いつかは離れなければなりません。双子とは哀れなものだと思いませんか」
 クレマンは室内の照明を落とし、嘆息しながら再び口を開いた。
「しかし、この激しい癇癪はアニエス様譲りですな」
「オリヴィエが、そんなことを言っていました。妄想が激しいとも」
「そうですか、オリヴィエ様が……。事実ですよ。アニエス様は、ブランシュ様をこの上なく愛しています。『白く美しい少女、私の大切な娘』思い出したようにそう言って、アニエス様はブランシュ様を時々呼び出すのです」
「どうしてオリヴィエを愛せないのでしょう。以前、オリヴィエは母を想って泣いていました」
 クレマンは押し黙った。薄暗い照明に照らされたクレマンの表情は、苦悶がより一層深く刻まれているように見えた。
「あなたが二人のよき理解者となることが、最良の治療になるでしょう。ロラン、あなたは二人に認められた特別な人物なのですよ」
 意味が分からず、問いただしたが、クレマンはそれ以上を語ろうとはしなかった。

 数日後、妙に屋敷内が慌ただしい空気で満たされていた。廊下を走るようにして歩いていたオーレリーに尋ねると、オリヴィエが高熱を出したらしかった。ブランシュは混乱に便乗して部屋に入り込もうとしたところをオーレリーに発見され、一時的に部屋に軟禁されてしまった。ロランもまた面会を許されなかったので、オリヴィエにかかりっきりのイレーヌの代わりに、ブランシュの部屋へ昼食を持っていった。
「出せよ、くそばばあ! やぶ医者! イレーヌ!」
 ブランシュはオリヴィエにかかりっきりの3人を頻りに叫びながら、激しくドアを叩いていた。
「ブランシュ、俺だよ。ロランだ」
 負けないようにドアを叩き返すと、ブランシュの動きが止まったようなので、ロランは鍵を使ってドアを開けた。ブランシュはドアの前に座り込み、項垂れていた。髪は乱れ、息は上がり、手は哀れなほど赤くなっていた。
「昼食だよ、ブランシュ」
「使用人に成り下がったのかよ、ロラン」
 ブランシュは蔑むように短く笑ったあと、そう言ってロランを睨み上げた。
「俺は元々使用人のようなものだ」
「どうだか。たかが家庭教師風情が、僕たちの部屋に入れると思ってるわけ」
「どういうことだ?」
 ブランシュは顔を背け、立ち上がると、ロランの背中を押して部屋から追い出した。
 ロランは昼食を摂ったあと、特にすることもなかったので自室へ引き上げた。部屋には、セドラン家の巨大な書庫から読みたい本や、双子の授業に役立ちそうなものなどを持ち込んでいた。オリヴィエのことは心配だったが、気に病んでも始まらないと、窓辺に腰掛けて気分転換にと一冊の本に没頭し始めたときだった。目の縁に何か白いものが入り込んだ。ロランは窓の外に目をやった。すると、ブランシュが長い髪を棚引かせながら、木立の中へ消えていくところだった。ロランはその様子がなぜか気にかかり、追いかけてみようと腰を上げた。しかし、扉に向かったとき、外側からノックをする音が響いてきたので、ロランの足は止まった。
「はい」
「オーレリーよ。少しお話したいことがあるの。いいかしら」
 本当は今すぐにでもブランシュを追いかけたかったのだが、返事をする前に扉が開いてオーレリーが入ってきた。
「不用心ね、部屋に鍵をかけていないなんて。まあ、たくさん本を持ち込んで。勉強熱心なのね、感心するわ」
「いえ、それほどでは。その……話とは? オリヴィエの容態が悪いのですか」
「オリヴィエは大丈夫よ。もう落ち着いたわ」
 その事実にはほっとしたが、自分をこの家の家庭教師として雇ってくれた人をむげにするわけにもいかず、ロランは早く話が終わることを祈った。オーレリーはロランの祈りとは裏腹に、ゆっくりと部屋を万便なく見渡したあと、やっと口を開いた。
「ロラン、あなた、オリヴィエとブランシュをどう思って?」
「どうって、とても優秀な子たちで……」
 オーレリーは首を振って、ロランの言葉を遮った。
「聞き方が悪かったわ。あの子たちを愛しいと思って?」
「……はい、弟たちと同じように」
 一瞬、ブランシュの顔が浮かんだが、ロランは努めて冷静に答えられた自信があった。しかしオーレリーはロランの顔を不躾なまでに観察し、やがてふっと不敵な笑みを漏らした。
「オリヴィエのことも心配してくれているようだし、ブランシュのことも気にかけてくれているようね。あなたを家庭教師として迎えて、本当によかったと思っているの。今までの家庭教師なんて、オリヴィエとブランシュがいたずらをして、ここから追い出していたのよ。それは酷いいたずらをしてね。あの子たちは好き嫌いが激しいの。ロラン、あなたは二人にそれはとても気に入られているわ」
「いたずらとは、一体どんな」
 初めて聞く話だった。思わず勢い込んだロランだったが、オーレリーは首を振った。
「私の口からは言えないわ。天使みたいな顔をして、あの子たちは悪魔なのよ。特にブランシュは……呪われてるわ。禍々しいほどにね」
 オーレリーは眉根を寄せ、吐き出すようにそう言った。そのあからさまなブランシュに対する嫌悪は、ロランの背筋を凍らせた。
「これからも二人をお願いするわね。話はそれだけよ」
 オーレリーはいつもの高慢な態度に戻り、部屋を出て行った。ブランシュが呪われている。そう言ったオーレリーの憎々しげな表情が目蓋に焼き付き、ロランはしばらくの間その場から動けないでいたが、意を決して部屋を飛び出した。廊下を駆け抜け、角を曲がった途端、何かにぶつかり、後ろに倒れそうになった。
「イレーヌ! ごめん、大丈夫か」
 ぶつかった相手はイレーヌだった。尻餅をついてしまったせいで、籠に入れられた大量の清潔なシーツが無惨にも床に散らばってしまっていた。ロランは慌ててシーツを拾い始めた。
「ロ、ロラン様、大丈夫です。そんなことしてくださらなくても、わたくしが」
 イレーヌは慌ててロランを制止した。その表情に必死な色を見て取ったロランは不審に思った。
「いや、これくらい何でもないよ。ぶつかったのはこっちなんだ」
「ロラン様にこんなことをさせてしまったなんて知られたら……」
 慌てて自分がシーツを拾い集めながら、イレーヌははっと口を覆った。
「どういうことだ? 俺は君と同じ、ここに雇われている身だ」
「いえ、あの、何でもございません。どうか聞かなかったことに」
 イレーヌが涙目になってしまい、ロランはそれ以上追求することができなくなってしまった。取りあえず持っているシーツを籠に戻したとき、今まで隠れていて見えなかったが、足下に赤い革表紙の本が落ちていることに気付いた。
「これは、イレーヌ、君のか?」
 拾い上げながら尋ねると、下を向いていたイレーヌは顔を上げ、ロランの手から慌てて本を奪い取った。胸にかき抱き、恐る恐るロランを見上げたイレーヌの目は怯えていた。それに、よく見ると左頬が僅かに赤く腫れ上がっている。
「わたくし、もう行かなければ……オーレリー様にしかられてしまいます……」
 イレーヌは慌てて屈み込み、急いでシーツを籠の中に戻した。何かがおかしい。ロランはそう直感した。イレーヌは元々そそっかしく、よくオーレリーに叱られているところを見たことがあったが、手までは上げられていないはずだ。それに、ここまでおどおどとした少女だっただろうか。
「さきほどブランシュが外に走っていったようだが、何か知らないか? 君は二人と仲がいいだろう?」
 ロランは話題を変え、イレーヌがどんな態度を取るか試してみようと思った。するとイレーヌの肩がびくりと反応した。
「存じません。あの方のお考えになることは、理解の範疇を越えて……」
 イレーヌは再び口を手で覆った。ロランはしゃがみ込み、イレーヌの両肩を掴んだ。
「理解の範疇を越えている? どういうことだ?」
「止めてください、ロラン様。仕事に戻らなくては」
「ブランシュと何かあったのか? 以前は仲がいいようだったじゃないか」
「わたくしはただの使用人ですわ。お二人と仲がいいだなんて、そんなこと許されませんわ」
「でも、あの二人のいたずらの片棒をついでいるんだろう?」
「それは……お二人の頼みを断るわけにはいきませんもの。逆らったらどうなるか……」
「君は、脅されているのか? 誰に? なぜ?」
 イレーヌはついにがたがたと震え出し、細い指をぎこちなく胸の前で組んだ。
「ああ、ロラン様、どうかお許しください」
「イレーヌ、ここには誰もいない。君が何を言っても、俺は君の味方だ。だから頼む。どうしてそんなに怯えているのか、教えてくれ」
「……わたくし、ブランシュ様が、怖い」
 聞き取れないほどの小さい声だったが、ロランの耳にはしっかりと届いた。イレーヌは、力が抜けたロランの手から逃れ、籠を持ち上げて駆けて行ってしまった。



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