ろーず・まりー




荒野の中に突っ立って
ルルル 子守唄を歌おう
独りだって寂しくないわ
仕様もない女!
そう言われたって
ルルル 愛していることに偽りはないの



 ローズが、男の人とどこかへ消えてしまった。
 分かってはいた。心のどこかで、あなたがわたしじゃない誰かを見ていたこと。あなたの目が、時々ふっと遠くなって、浴びるようにお酒を飲んでいたことも、わたしを見るあなたの目に、少しの憎悪が含まれていたことも、全てそのことに関係しているって。
 クローゼットを開けると、たくさんの綺麗な服がばらの香りに包まれて、まるで眠っているようにきちんと整えられていた。ローズは綺麗好きだった。誰よりも美しくて、誰よりも強くて、でもどこか弱々しかった、彼女。まるで彼女に誂えたかのように、どんな服でもさらりと着こなしていた。颯爽と、ヒールを打ち鳴らして、振り向く。そして、
「マリー。もっとさっさと歩いたらどう?」
 と、赤い唇を引き上げる。だって、あなたの後ろ姿を見ていたいんだもの。わたしはそう言えずに、小走りで駆けていく。小さな子どもの手を引きながら。
 ばらの香りで、頭痛と吐き気がする。いつの間にか、わたしの周りにはローズの服が散乱していた。息が上がって、目の前がぼやけている。一瞬の衝動に、わたしはわたし自身に驚いていた。わたしの中に、こんなに激しい感情があるなんて。愛でも、恋でもない、この燃えるような喉の渇きは何だろう。頬が熱い。
「ママ?」
 はっとして顔を上げると、ぼやけた視界が小さな影を捕らえた。
「ローズマリー」
「ママ、どうしたの。泣いてるの」
 駆け寄ってきたローズマリーは、小さな手でわたしの頬を撫でた。かつて、わたしを愛してくれた人たちが、そうしてくれたように。
「大丈夫よ、ローズマリー。さあ、お部屋に戻って」
「いや、ママ」
「戻るのよ!」
 ローズマリーの身体が跳ね上がった。わたしの息苦しさは止まらない。このままだとわたしは、彼女を傷つけてしまうだろう。
「お出かけの準備をしていて。大事なものだけ持てばいいわ」
 ローズマリーはふっと目を遠くした。その寂しげな目の色はローズにとてもよく似ていた。金色の巻き毛、菫色の瞳、赤い唇。全ての者が魅了されずにはいられない美しさ。彼女はローズの生き写しだ。今はまだ蕾でも、いずれ開花する時がくる。
 ローズマリーが部屋を出ていくと、わたしはローズの服を漁った。真っ赤な、派手な衣装を見つけると、着ている服を脱いでそれに着替えた。初めてローズを見た夜、この衣装を着て歌っていた。その姿が蘇る。わたしはドレッサーに座り、ローズの化粧品で化粧を始めた。陶器のような肌、力のある大きな目元、熟れた唇。見る見るうちにわたしはローズになっていく。化粧なんてしたことがなくても、わたしにはやっぱりそういう血が流れているのだ。ほら、こんなにも、似ている。
 鏡に写った自分に不思議な高揚感を覚えた。血が、滾っている。わたしは深く息を吸って吐くと、立ち上がって、鞄に財布と通帳を入れてローズマリーの部屋に向かった。ローズマリーは黒いワンピースに黒い帽子を被り、外を眺めていた。
「行くの」
 彼女は分かっている。黒い洋服が、自分を守ってくれることを。
「ええ」
 振り向いたローズマリーは一瞬目を大きく見開いた。
「ママ、綺麗」
「ありがとう」
 でも、あなたは、わたしのようになっては駄目よ。わたしの手を取るローズマリーに、心の中で言ってみた。聞こえていないはずなのに、彼女はわたしの手をきゅっと一瞬強く握り返してきた。
 わたしたちは住み慣れた家を出て、厚い雲に覆われた夜道を歩いた。月がなくても、街はきらびやかなネオンで夢の中にいるかのような錯覚を起こす。サーカスや夜の遊園地の、人工的な楽園。一歩外へ踏み出せば、漆黒の闇が全てをかき消してしまう、その儚さに似ている。わたしはタクシーを拾い、郊外へ向かった。洪水のようなネオンは次第に星のようになり、車内を闇が包んだ。固く握りあった手のひらが感覚を失っていく。 やがてタクシーは滑るように目的地の前で止まった。タクシーに待っているように言い、わたしとローズマリーは暗い夜道を歩いた。足下が見えないせいで、踏み出した途端、バランスを崩しそうになる。けれど繋いだ手のひらが、それを許さない。
 簡素なドアの前まで来ると、わたしはローズマリーに向き直った。
「いい? 神父さまに訳を話して、働かせていただくのよ。神さまが、あなたを守ってくださるわ」
 ローズマリーの美しさを、わたしたちの愛を、終わらせてしまわなければ。神の絶対的な支配によって。
「ママは、どこへ行くの」
「ママは、どこへでも行くわ。でもあなたは、駄目」
「どうして。私、ママの邪魔、しないわ」
「駄目よ、ローズマリー。分かってくれるわね」
「……ローズを、追いかけるの」
「いいえ」
「ママ、愛してるわ」
 とうとう、言わせてしまった。この言葉を。ローズマリーの純粋で決意に満ちた力強い瞳が、わたしを、わたしだけを見上げている。ああ、何ということだろう。
「愛していることに偽りはないの」
 ローズがよく歌っていた曲の一節が浮かんだ。
「さようなら、ローズマリー」
 わたしはローズマリーの手を振り払い、ヒールの音を高らかに響かせながら今来た道を戻った。いつの間にか、雲の切れ間から月が顔を出し、私を照らしていた。後ろで、ママ、と呼び続けるローズマリーの声がする。転んだのだろう。涙声になってなお、わたしを呼び続ける小さな娘。わたしのローズマリー。いいえ、ローズの娘。オールド・ローズの孫娘。
「わたしはママでもないし、小さなマリーでもない。一人の、女よ」
 振り向かずに、わたしは呟いた。



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