フランチェスカの娘


 フランチェスカの娘はフランチェスカと言う名の母親から生まれたのでフランチェスカの娘と呼ばれていました。村で唯一の菓子店、それがフランチェスカの娘が独りで切り盛りする“Francesca”でした。
 母親亡き後、まだ少女と言われる歳であったフランチェスカの娘は、菓子店を継ぐことに何の抵抗もありませんでした。何故なら、村の人々は知らないことですが、母親が生きていたころから菓子は全てフランチェスカの娘が作っていたのでした。母親もそれなりに菓子を作ることはできましたが、元々華やかで社交的な性格だったので、フランチェスカの娘の作る菓子が自分のものより美味しく、人を幸せにできると感じたら、
「これからはあなたが作りなさいな。わたし、売る方が得意みたい」
 と、あっさり厨房を明け渡したのでした(それまで店のことは調理から販売まで全て母親が行っていました。フランチェスカの娘は母親の手伝いをしていたのです)。
 この決断は、思った以上の反響を呼びました。フランチェスカの娘は見て覚えたことに加え、様々な種類の菓子にアレンジを用いて、見た目も味も魅力的なものを作り出しましたし、母親の方も美しい容姿と社交的な性格が人々を引き寄せ、客は以前よりも目に見えて増えました。ただ一つだけ、気になる点がありました。ある日、フランチェスカの娘は聞いてしまったのです。
「どうやったらこんなに美味しいお菓子が作れるんだい」
 常連の男性客が、母親に尋ねていました。その男性はフランチェスカの娘も顔を知っているほど、毎日のように通いつめている客でした。母親は夢見るような瞳でその男性を見上げ、
「魔法にかけられたのよ」
 と言って微笑みました。
 母親は、フランチェスカの娘が作った菓子を、自分が作ったと偽っていたのでした(加えて、娘がいることも隠していました)。フランチェスカの娘は大人しく、母親と違って人前に出ることが苦手だったため、いつも賑やかな店内から離れて一人黙々と菓子を作っていたからか、村の人々から存在していないように思われていたのでした。ですので誰一人として、嘘に気付く人はいなかったのです。それでもフランチェスカの娘は幸せでした。母親がいつの間にか恋に侵され(例の常連客です)、更に美しく社交的になるのは、自分が作った菓子が招いた幸福のような気がして、とても幸せな気持ちになりました。
 けれど母親は恋人に嘘を貫き通すのが苦痛になってきたのでしょう。ある休業日、恋人の車で遠くの街まで出かける朝、母親は言いました。
「本当のことを話すわ。彼は怒るでしょうし、わたしに失望してしまうかもしれない。けれどもし、秘密さえも全部愛してくれたなら、その時はあなたも会ってくれるわね」
 フランチェスカの娘は頷きました。そして祈りながら見送りました。けれどその日の夜にかかってきた電話は、哀しいものでした。
「もしもし? ああ、良かった、人がいて。従業員の方ですかな? こちらは警察です。どうか心を落ち着かせて聞いて欲しいのですが、そちらの店主、フランチェスカさんと若い男が事故に遭いまして。ええ、よそ見運転の車を避けようとして……。こちらが駆けつけたときには、もう意識がありませんでした」

 フランチェスカの娘は、フランチェスカ亡き後、フランチェスカの娘と呼ばれるようになりました。死んだ店主に娘がいたとは知らなかった村の人々ですが、母親の面影を引き継いだ少女を、フランチェスカの娘ではないと疑う者は誰一人としていませんでした。
 母親と比べて底抜けに明るくもないし、商売上手とはとても言えませんでしたが、道端に咲く菫のように可憐な笑顔が人々を魅了するのに時間はかかりませんでした。第一に、かつてのフランチェスカが作る菓子と同じ味を保っていましたし(実際は違うのですが)、泣き顔も見せず、たった一人で店を切り盛りする少女を村の人々は愛しいと感じるようになっていました。
 ある日のこと、フランチェスカの娘はいつものように開店準備をしていました。その時、店のドアが可愛らしいベルの音を響かせて開きました。こっそりと店内を窺い見るような様子で入ってきたのは、見たことのない若い青年でした。
「ごめんなさい、開店はまだなんです」
 フランチェスカの娘は、箒を握り締めながら申し訳無さそうに言いました。青年はフランチェスカの娘に気付くと、焦ったように首を横に振りました。チョコレートのような綺麗な栗色の髪が、ふわふわとメレンゲのように彼の顔を縁取っていました。
「客ではないわけではないのですが、ちょっとしたお願いがあって開店前に伺いました。ご迷惑でしょうか」
 いいえ、とフランチェスカの娘は答え、青年の言葉の続きを促しました。
「僕は絵描きです。絵の修行のために旅をしていて、数日前にこの村にやって来ました。この村の人はみんな笑顔を絶やさず優しい人ばかりだ。それがどうしてなのか不思議だったのですが、つい最近、その理由が分かりました。あなたの店で買うお菓子は人を幸せな気分にさせることができる、とみんな口を揃えて言うのです」
 生き生きとした瞳で語る青年にたじろぎそうになりながら、フランチェスカの娘は何度も首を横に振りました。
「いいえ、いいえ。そんな効果、わたしの作るお菓子にはありませんわ。母が作っていたものとは比べ物にならないですから」
「あなたは謙虚な方だ」
 青年は困ったように微笑んで、柔らかそうな髪をかき上げました。
「僕のお願いとは、この店に来る人々を絵に描かせていただきたいのです」
「絵、ですか?」
「ええ。店内ではご迷惑でしょうから、店の向かい側の公園で」
 “Francesca”の向かいには、道路を挟んで公園が広がっていました。特に何があるわけではないのですが、木製の椅子やテーブルがそこかしこに設置してあるので、お菓子を買っていった客がそこで食べている様子を、フランチェスカの娘もよく見かけていました。そして密かに、美味しそうに頬張る人々の笑顔を見ることが好きでした。フランチェスカの娘には断る理由が見つからなかったので、絵描きの青年の申し出を二つ返事で了承しました。
「ありがとう、フランチェスカの娘さん」
 青年はジュリアーノと名乗り、毎日のように公園に現れるようになりました。フランチェスカの娘は仕事をしながらよくジュリアーノが目に入るようになり、彼の絵に対する真剣な眼差しにいつしか自らを重ねるようになりました。
 ある粉雪が舞う日、ちょうど客が引けたころ、ジュリアーノが店にやって来ました。バレンタインが近いため、連日チョコレートを求める客で溢れ返っていましたが、この日冷え込んだために客足は少なかったのです。
「いい絵はたくさん描けていますか」
 フランチェスカの娘は何気なく尋ねてみました。ジュリアーノはお菓子を選ぶのを辞め、ええ、と微笑むと、持っていたスケッチブックを広げました。フランチェスカの娘はそれを覗き込むと、思わず感嘆の声を上げました。そこには見慣れた笑顔が、一瞬一瞬を切り取ったかのように輝いていたのです。
「素敵な絵を描かれるんですね。まるでおもちゃ箱のようだわ」
「実は最近まで、思うような絵が描けなくて悩んでいたんです」
 ジュリアーノはぽつりと呟きました。フランチェスカの娘は顔を上げ、無言で理由を尋ねるようにジュリアーノの瞳を覗き込みました。彼は一瞬たじろいだように視線を泳がせ、また口を開きました。
「でも、この村に来てあなたのお菓子に出会ってから、僕は変われたような気がします。あなたのお菓子は、優しい」
 思ってもいなかったことを言われて返答に困っていると、ジュリアーノはカウンターにマフィンを置きました。フランチェスカの娘ははっとして、素早く包装を済ませ、金額を伝えました。
「フランチェスカの娘さん」
 財布からお金を出しながら、ジュリアーノはフランチェスカの娘を呼びました。
「今度、あなたの幸福を……いや、絵を描かせていただけませんか」
 驚いて顔を上げると、自分を見るジュリアーノの揺ぎ無い視線に頭の芯が痺れたようになってきて、思わずこくりと頷いていました。
「ありがとう。それじゃあ、また」
 ジュリアーノは僅かに名残惜しそうにフランチェスカの娘の掌にリラ硬貨を乗せると、粉雪が舞う冬空の元へ行ってしまいました。フランチェスカの娘の掌にはジュリアーノの指先が触れた感覚が残っていて、それを閉じ込めるようにぎゅっと握り締めると、リラ硬貨がじんわりと温かみを増すのでした。
 フランチェスカの娘が目に見えて元気がなくなったのは、その日からです。村の人々は、接客をしているフランチェスカの娘の笑顔が、いつもの彼女とは違って憂いを帯びているのに気付きました。そしていつも輝かんばかりに美しく、人々を魅了して止まなかったお菓子が、何となく色褪せて見えました。それは日に日に悪化していき、フランチェスカの娘からは笑顔が消え失せ、店は臨時休業をするまでになってしまいました。心配した村の人々が訪れても、フランチェスカの娘は大丈夫の一点張りで、完全に一人の殻に閉じこもってしまったのでした。
 家の中で、寝巻きにストールを巻いた格好のまま、フランチェスカの娘は一心にお菓子を作っていました。けれど何度作っても上手くできません。材料も分量も間違いありませんし、今まで培ってきた技術も衰えているわけではありません。それなのにいくら頑張っても、この間まで出せていた味が出せないのです。フランチェスカの娘は厨房を片付けないまま自室に引き上げ、ベッドに潜り込みました。フランチェスカの娘の瞳から涙が溢れ出て、それは後から後から泉のように溢れ出ました。彼女は気付いてしまったのです。自分が、ひとりぼっちだということに。そしてお菓子を作れなければ何の価値もない人間なのだということに。一人孤独に身を焼くフランチェスカの娘を抱き締めるのは、静寂でした。
 数日後、フランチェスカの娘がぼんやりと紅茶を飲んでいると、店の方ではなく裏の扉を叩く音が聞こえました。材料などを補充する業者がやって来る時間ではなかったので一瞬首を捻りましたが、また村の人々がお見舞いに来てくれたのかもしれないと、鉛のように重い身体を動かしました(村では、フランチェスカの娘が病に犯されていると専らの噂でした)。しかし、扉を開けて驚きました。そこに立っていたのはジュリアーノだったのです。
「裏口からすみません。あなたが心配で……、ええっと、お加減はいかがですか」
 心配そうに眉根を寄せるジュリアーノを、フランチェスカの娘は久しぶりに見たような気がして、何故か目頭が熱くなってくるのを感じました。
「大丈夫です。あなたにも村のみんなにも、心配をお掛けして申し訳ないわ。きっとあと少し休めば、また店を開くことができると思います」
 フランチェスカの娘は明るい声で答えました。けれどジュリアーノの表情は固いままです。
「きちんと食事は摂っていますか」
「ええ、みんなが心配しておすそ分けをしてくださるので」
「随分と、痩せたようですが」
「少しの間、床に伏せっていましたから。仕方ありませんわ」
「再開の目処は立っているのですか」
「休んでいる間に腕が鈍ってしまったから、今は小手試しをしていますの」
 始終にこやかに明るく話すフランチェスカの娘を、ジュリアーノはじっと見つめていました。そしてぽつりと呟きました。
「あなたは、嘘つきだ」
 聞き返す暇もなく、ジュリアーノは家の中に進入してきました。彼が向かった先は厨房でした。フランチェスカの娘は息を呑み、何とかジュリアーノを止めなければと追いかけましたが、追いついたときにはもう遅かったのです。
「どうして嘘なんか、平気な振りなんかするんです」
 ジュリアーノの静かな口調は、フランチェスカの娘の弱くなっていた涙腺を刺激しました。ぽろぽろと頬を伝う涙を拭うことも、ジュリアーノの言葉に肯定することも否定することもできないまま、フランチェスカの娘はその場にぺたりと座り込んでしまいました。ジュリアーノが開け放った厨房は、道具やら材料やらが散らばって荒れ放題でした。店を休業させてから、毎日何時間も厨房にこもっては納得のいかないお菓子を作り続け、終いにはフランチェスカの娘の心を表しているかのように荒れ果ててしまっていたのでした。
「どうして、こんなことに?」
「分からないの。いくら作ってもいつもの味が出せないの。わたしはお菓子を作れなければ何の価値もないのに。誰からも必要とされないのに」
 フランチェスカの娘の喉から、嗚咽と共に痛い言葉が溢れ出していました。出口のない迷路に入り込んでしまったかのように、道の真ん中に一人放り出されて、必死に母親を探す幼子のように。誰もいないのでした。フランチェスカの娘は、一人で立ち、一人で傷を舐め、一人で立ち直ることしか知りません。今までもそうやって生きてきたのです。けれど今回は違いました。ジュリアーノが現れてから。
「寂しいんだね」
 ジュリアーノの穏やかな声音に、フランチェスカの娘はびくりと肩を震わせました。
「寂しい?」
「そう、寂しい」
 その言葉を今まで知らなかったかのように、それの持つ意味を噛み締めると、呼吸もままならないほどに胸が軋みました。ずっと寂しかった。そのことにフランチェスカの娘は気付きました。そしてそれが溢れないよう蓋をし続けていたことにも。
「一人で宝石のようなお菓子を作り続けることは、孤独な作業でしょう。僕の絵も同じだよ。でも抱え込んじゃいけないよ。あなたが幸せじゃなかったら、お菓子を食べてくれる人たちも幸せじゃなくなってしまう」
 いつの間にか、ジュリアーノに抱き締められていました。とくん、とくん、と規則正しい鼓動が間近に聞こえて、止まっていた時計の秒針がそれに合わせて動き出すかのような感覚がしました。生きているものと触れ合うのはとても久しぶりのような気がして、懐かしくて優しくて愛しくて、後から後から涙が溢れました。フランチェスカの娘は彼の胸でひとしきり泣いたあと、疲れ果て眠ってしまった子供のように意識を失いました。

 薄い目蓋を伏せたままでも、透明な光がそこら中に満ちていることに、フランチェスカの娘は気付きました。恐る恐る目を開けると、窓の外は淡い青色で、絵本のような町並みの家々を優しく照らし出していました。窓際にやって来た小鳥が可愛い声で鳴くので、つられて自然と笑みが漏れました。身体を起こして身支度を済ませ、階下に降りていくと、甘い匂いが鼻を掠めました。恐る恐る厨房のドアを開けてみると、甘い匂いが強くなりましたが誰もいません。ただ、荒れ放題だったはずなのに道具はきちんと片付けられ、シンクや換気扇も丁寧に磨かれていました。きっとジュリアーノが片付けてくれたのでしょう。けれど彼の姿は、家中どこを探しても見当たりませんでした。
 ジュリアーノに会いたい。フランチェスカの娘は家を出ました。けれど彼が泊まっている宿屋を目指そうとした途端、見覚えのある後ろ姿が視界に映り込みました。向かいの公園に足を伸ばし、広い背中に声をかけました。
「おはようございます」
 存在に気付いていなかったのか、ジュリアーノは驚いたように振り向きました。
「あ、おはようございます。良く眠れましたか」
「はい。昨日は、ええと、ありがとうございました。ご迷惑をお掛けしてしまって」
「いえ……」
 二人に間に、奇妙な空気が流れました。フランチェスカの娘には、昨日のことが断片的にしか思い出せません。恐らく眠ってしまい、部屋までジュリアーノが運んでくれたのだということは何となく分かりました。
 ジュリアーノが座っている位置をずらし、フランチェスカの娘に座るよう促したので、隣に腰掛けました。暫くの間、沈黙が支配していましたが、先に破ったのはジュリアーノでした。
「もう少ししたら、伺おうと思っていました」
 フランチェスカの娘がジュリアーノの横顔を窺うと、彼はどきまぎした様子で小さな箱を差し出しました。
「厨房を片付けていて、思い付いたんです。材料はあなたのところのものだし、あなたみたいに上手くなかったんですけど」
 その箱からは、厨房から漂っていたものと同じ甘いチョコレートの匂いがしました。ラッピングのリボンはよれていたし、包装の仕方もいい加減でしたが、むしろそれがジュリアーノのひたむきな想いを表しているようでした。
「わたしのために、チョコレートを作ってくれたの」
「今日はバレンタインだから」
 自分のことでいっぱいいっぱいになっていてすっかり忘れていましたが、言われてみると今日はバレンタインなのでした。そう言えば今日は少しだけ、村の様子が晴れやかで楽しそうです。
「忘れていたの? お菓子屋なのに」
 ジュリアーノはからかうように笑い、フランチェスカの娘もつられて笑いました。
「開けていい?」
「どうぞ」
 リボンを解き、箱を開けると、いびつな形のチョコレートが表れました。慣れない作業で悪戦苦闘するジュリアーノを想像しておかしくなる反面、胸に愛しさが広がっていきました。一つを口に含んで味わうと、あまりのおいしさに頬が緩みました。そして泣きたくなるほど幸福でした。
「お菓子を食べて幸せだと思ったのは、今が初めてよ」
「あなたはそんなお菓子をずっと作り続けてきたんだよ」
「また、作れるようになるかしら」
「なるよ。大丈夫」
 そうして二人は見つめ合いました。フランチェスカの娘は、ジュリアーノの瞳の力強さと優しさに、絵に打ち込む熱意に、出会ったときから惹かれていたことに気付きました。とくん、とくんと時を刻む心臓。温かい身体。それを持ち合わせているもの同士、寄り合い合い生きていくことは、きっととても自然な流れなのでしょう。人はみんな寂しがりやで、臆病で、不安で、それでも生きていかなければならないのです。大切な人に出会うため、大切な何かを見つけるために。
「そう言えば、あなたの本当の名前は?」
 フランチェスカの娘は今まで何となく恥ずかしくて言えずにいた本当の名前を、ジュリアーノの耳元でそっと囁きました。次の瞬間に抱き寄せられ、お互いの耳元で魔法の言葉を何度も言い合いながら、二人は笑いました。
 そしてジュリアーノは約束通り、愛しい少女の幸福を描き出したのでした。

 数日後、ジュリアーノは人々に惜しまれながらも村を出て行きました。みんな口を揃えて、
「フランチェスカの娘さんを置いていくなんて」
 と嘆きましたが(いつの間にか二人のことは村中に知れ渡っていました)、当の本人はすっかり以前までの調子を取り戻し、また店を開けるまでになりました。ジュリアーノは絵の修行をするために旅をしているのです。それを止めることは出来るはずもありません。もしフランチェスカの娘がお菓子を作ることを止めさせられたら、生きる糧を失ってしまいます。それが身に染みて分かっているので、ジュリアーノが出て行くと言ったときにも黙って頷きました。それにジュリアーノは言ったのです。修行を終えたら戻ってくると。
 ある晴れた午後、ふと窓の外を見遣ると、春の陽気に誘われた人々が笑い合いながらお菓子を頬張っていました。人は嬉しいと笑顔になります。その笑顔と向き合う人がいれば、もっと笑顔になります。フランチェスカの娘の前からジュリアーノはいなくなってしまいましたが、今もどこかであのとき描いた絵を見ながら笑顔を零して欲しいと思いました。彼からの手紙で思わず頬が緩んでしまう、フランチェスカの娘と同じように。
「フランチェスカの娘さん!」
 そのとき、ベルの音と共に幼い少年と少女が入ってきました。小さな手を握り合い、頬を高揚させながら、きらきらとした瞳でフランチェスカの娘を見上げてきます。
「フランチェスカの娘さん、あたしたち、大人になって結婚したらお菓子屋さんを開くわ!」
「それで、フランチェスカの娘さんみたいに、みんなを喜ばせたいんだ!」
 砂糖菓子のような、甘くて真っ白で純粋な想い。子供たちの瞳の奥に輝くものを、ずっと忘れないでいよう。フランチェスカの娘はそう思いながら、二人の頬にキスを落としました。幼い頃、良く母親がそうしてくれたように、惜しみない愛と幸福を祈りながら。
「でも、どうしてあんなにおいしいお菓子が作れるの?」
 少女の問い掛けに、かつての母親と恋人の姿を思い出しました。そしてフランチェスカの娘は悪戯っぽく微笑みました。
「魔法にかけられたからよ」
 それは、幸せの魔法。


2008/03/02



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