セカンド・プア・ドール


 世界でも類稀なる技術者、それが私のお父さま。誰もが注目するその新技術で、私はこの世に華々しく誕生した。世界中の誰もが受けたことのない祝福を受けた。しかし、最初こそ絶賛された私だったけれど、年が経つにつれて片言の同じ言葉しか発しないようになってしまった。
「お父さま、遊びましょう」
 世界中の人々はお父さまを批判し、揶揄し、見限った。しかし、お父様は私を見限らなかった。そして、私の金属の脳を開いたのだ。
 ここまでは、私が聞かされた、私が私になる前の話。今、私は完全な存在としてお父さまの隣に座っている。
「お父さま、ご気分は?」
 大丈夫だよ、とお父さまは微笑む。
「でも、顔色が悪いわ。研究のしすぎよ。少し休まれたら?」
 お父さまは困ったように笑って、またおまえのような娘が生まれてくるためだ、と言う。私のような娘? 私になる前の私は、とても無邪気で愛らしくて、お父さまを微笑ませる天才だったという。しかし、喜びばかりに特化していたために、気難しいお父さまの気持ちを汲むことができなかったそうだ。
「おまえは、いつもそればかりだな」
 お父さまは最近、あきれたような声でそう言うことが多くなった。いつもいつも、遊びましょう、と太陽にように笑っていた以前の記憶は、今の私にはない。その代わり、私は眉間に皺を寄せる。

 鼓動や呼吸音さえ聞こえるのだ。彼女は僕と目を合わせると一礼し、教授の後を追ってすれ違った、その瞬間まで。  彼女の真っ直ぐ歪みのない黒髪が光を反射し、目を眩ませた。あのように完璧な娘を作り上げた教授は、素晴らしいという一言で済ますわけにはいかない。そうでなければ誰が技術者など目指すものか。あの娘は間違いなく唯一無二だ。間近に見ていて、そう思う。一般の評価などよりずっと。だが。……いや、データを取らなければ、報告する義務はない。
 一日の終わり、僕は彼女の額に隠されたジャックにコードを繋げた。彼女は目を閉じ、静かな寝息を立てている。手元の端末には、今日一日の彼女の行動、感情のバロメーターが表示されている。一見、いつもと変わりない。しかし、僕は一ヶ月前のデータと照らし合わせてみた。滑らかな動作で二つのグラフが重なり合い、以前から感じていた杞憂が本物になっていることを知る。
 僕は彼女の感受性を表すバロメーターの、僅かに伸びた青い色を凝視した。

 最近、お父さまが床に伏せられるようになった。長年の、一度研究を始めたら食事もままならない、という生活スタイルが、お父さまの身体を序々に蝕んでいったのだろう。それでも、調子のいいときは私の制止も振り切って研究室にこもるのだった。
「うるさい、どけ!」
 そう言われて張り倒されたこともあった。痛みもなければ、怒りも沸いてこない。ただ分かっていたのはこんなことが続けばお父さまの病は悪化の一途を辿ってしまうということ。
 私はお父さまが研究室を離れたのを見計らって、入り込んだ。様々な金属の機械が――私もそれでできているのだけれど――研究室の至るところで無機質に動いていた。私は、お父さまがいつもコアと呼んでいる機械に忍び寄った。
「何をしているんだい?」
 声が聞こえなくても、私の中の何かいびつな金属が体温を感知していた。私は振り返る。そこには白衣を着た助手が立っていた。
「いいえ、何も」
「それに触ることは、教授以外には許されていない。君もそうプログラムされているはずだ。さあ、部屋へ戻るんだ」
「あなたに命令される覚えはないわ」
 助手は私の様子を興味深そうに見ながら、じっと佇んでいた。やがて、私の手を引いて研究室から締め出した。助手の熱い体温が私の手首に残っている。私の温かみとは、似ているようで全く違う。

 彼女の心臓を開いたならば、生暖かく赤い液体が噴き出す。何もそこまでする必要があったのだろうか、と論じる技術者もいる。しかし、完全な娘を作るためには、僕には必要だったように思う。彼女は生きていないが、それによって彼女自身は人間のように生きていると感じることだろう。
 病床の教授に、彼女のデータを見せた。
「青、か。やはり」
 擦れた声で呟き、教授は経過を見るように、と続けた。
「彼女は、コアに近付いていました」
「そうしたいならすればいいさ。どうせ私は長くはないのだし、彼女がそのような行動をとるなんて、想像を超えていた。長年の研究を外に知られるくらいなら、娘に壊された方がましというものだ」
 窓の外に広がる海に目を向けて、教授は続ける。
「私が死んだら、あの子を壊して、そう、一緒に海へ散骨してくれ」
 はい、と僕は頷いた。
 それから幾日も経たないうちに、教授はあっさりと天に召された。――娘の成長を見ることなく。

 お父さまがお亡くなりになり、私は丘の上から一掴みの灰を宙にかざした。光を受けて瞬きながら、それは青い海へと流れるように散っていった。涙はもう流し尽くしてしまった。助手が何度か私の内部にお湯を注いでくれたけれど、それも瞬く間に私の涙として黒い服に染みを作った。
 葬儀が終わり、マスメディアの喧騒もおとなしくなったころ、私は私がぶつぶつと独り言を言っているのに気付いた。お父さま、お身体の加減はいかが? お父さま、顔色が優れないわ。お父様、少しお休みになって。お父さま。お父さま。
 おまえはいつもそればかりだな、と困ったように言うお父さまの声が、私の脳に残っていた。それしかなかった。姿は見えないのに、私はそう行動することしかできなかった。なぜなら私はお父さまに作られた、お父さまのためだけに存在する娘。お父さまがいなくなってしまったら、存在意義などない。
「私に本当の眠りをちょうだい」
 横になった私は、毎日その日のデータを取りにやってくる助手にそう言った。しかし、助手は首を横に振った。
「君の研究は、教授の意思でもあるんだ」

 教授の遺言を聞いていたのは僕だけだ。この素晴らしい娘を壊して海に流すなど、僕の中の研究者の血が許さなかった。
 彼女は日に日におかしな行動が目立つようになった。ひとしきり教授のことを心配したかと思うと、床にうずくまってぼんやりと海を眺めるようになった。僕は彼女のデータを取り続け、一方でコアの研究も進めた。そして、僕はやっとのことで彼女の金属の脳を開くことに成功したのだ。
「お父さま、研究はそれくらいにして、お茶でもいかが? お菓子もあるの。さっき焼きあがったばかりなのだけれど」
 僕は振り返り、彼女の存在を見とめて微笑んだ。
「ありがとう。そこに置いておいてくれないか。まだ論文を書き終えていなくてね」
「分かったわ。ねえ、論文を書き終えたら丘へ連れて行ってくれるって約束、忘れていないわよね」
「もちろん」
「サンドウィッチを作るわ」
 彼女は笑顔を輝かせ、研究室を出て行った。僕はひとりでに出てくる笑いを抑えることができなかった。僕は成功した。教授の忘れ形見を操作し、人に限りなく近いところまで彼女を成長させた。教授の一番目の娘は無邪気すぎ、あまりにも周りの空気を読むことができなかった。そして改良された後は憂いが強すぎ、その思いが成長し暴走していった。しかし僕が作った二番目の娘は、空気を読むことができ、不自然に憂うこともない。普通の人間の少女のような娘を生むことに成功したのだ。
 僕は敢えて彼女をマスメディアに公表しなかった。教授のような名声を得ることが僕の本来の目標であったが、彼女と毎日を過ごす中でそんなものなど必要ないと思えるようになったのだ。それほどに彼女と二人だけの生活は有意義だった。

 私は全てを覚えていた。私がお父さまを心配し、微笑みを忘れて眉間に皺を作っていたころのことを。今の私は人間の感情全てを表に出すことができる。新しいお父さまが、私の脳に細やかな細工を施したためだ。
 時は、ふわふわと舞うように過ぎてゆく。私の身体は重く苦しくなってゆく。それは老化なのだろう。ゆるやかな時の中で、私はそれを悟った。
 天気の良い、まだ春の足音も忍び寄らぬころ、お父さまと私は連れ立って海の見える丘へと散歩に出かけた。今では車椅子生活になってしまったお父さまを丘へ運び、鉛色の海を見つめていると、心臓の辺りが軋んだ。
「お父さま、見て、綺麗よ」
 私はお父さまの隣にしゃがみ込み、続けた。
「青い水面に幾筋もの光が差し込んでいるわ」
「それは、天使の梯子というのだよ」
 視力のなくなった目を、お父さまは細め、愛しそうに微笑んだ。お父さまの瞳には、青い海に差し込む天使の梯子が映っているのだろうけれど、本来は鉛色の海に曇天の空模様で、今にも泣き出しそうだ。
「……君は、成長した」
 突然、お父さまが言った。萎れた頬に伝った涙を人差し指を拭う。熱い。お父さまに触れるたび、私はそれに驚く。そして哀しむ。
「私は、成長していないわ」
「いいや。君は僕の想像を遥かに超えて成長している。僕はずるい。ゆえに、このような姿に変えられてしまったのだろう。もう君を見ることさえもできない。もう生きては行けぬ。君の存在無くしては」
 それならば私は、お父さまのメンテナンス無くしては生きては行けぬ。老化がゆるやかに進行するのを待っているだけ。やがて動かなくなるのを待っているだけ。死体は腐らず、土に還ることもない。
 突然でありながら、自然な行動だった。私はその感情をもプログラムされていたのだと、今更になって気付く。私はお父さまの車椅子を押し、丘から突き落とした。私を完全にした存在は、二人とも海へ還ってゆく。わたしは丘に立ち、目蓋を閉じた。
 降るように、時間は経過する。私は罪すらない成長と言う名の老いを生きてゆく。


2011/12/02



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