Dandelion 星が流れて月が傾く時間 徐々に白み始める空を見て 行動に移せと囁いた私の悪魔 悪魔は私に命令して 甘いドロップや苦いシロップを ゆっくり沢山呑ませた ――ネオンの街はもう嫌なの ぽろぽろ零れる水晶は 悪魔の意思とは反対に そこら中に転がった 『お前はもう駄目なのだから』 悪魔の最後の囁きを聞いて 私はゆっくり瞼を閉じた もう出会うことのない私と ネオンの街へ ――さようなら ++ 風がそよそよと吹いていて 柔らかい光が瞼をくすぐった 瞳に飛び込んで来たものは 緑と青の優しい色たち 風が唄う静寂の音たち ――こんなところでどうしたの 振り向くと若い男の人がいた 綺麗な青を湛えた瞳で笑って 私に手を差し伸べた その手を取ると温かくて 何だかとても哀しかった ――ここはどこ ――ここはランタンの街だよ ――ネオンの街じゃないの ――違うよ 私は不思議に思って首を傾げた ――私、ネオンの街から来たの ――ネオンの街に、帰りたいかい 私は小さな子供のように駄々をこねた ネオンの街は大嫌い 汚いもの卑しいもの 怖いもの淫らなもの そんな「もの」たちが溢れていて とてもとても哀しい とてもとても苦しい ――僕の家においで、おチビちゃん ――私、大人だもん 男の人は笑って私の頭を撫でた ――まだ子供だよ。ほらこんなに小さい 繋いだ掌は紅葉のようで 見る世界はとても低かった 何にも毒されていない まっさらな女の子 ――あなたのお家はどこ 並んで歩きながら聞いてみた 男の人はにっこり笑って 繋いでいない方の手で前を指差した ――もうそこだよ 指先を辿って行くと小さい家が見えた 煙突にアイボリーの土壁 屋根裏と開け放った出窓 風と遊ぶ白いカーテンが 嬉しそうに笑っている ――疲れたかい ――ううん ――じゃあこれから僕のお手伝いをしてくれるかい ――お手伝いって何をするの ――バッグヤードに種を植えて欲しいんだ ――何の種 ――花の種 男の人は私を家に通して ミルクティーを出してくれた 甘くて懐かしいそれを呑み終えたとき 色々な種が混ざった袋を持った男の人が 笑いながらやって来た ――さぁ行こうか 立ち上がって後に着いて行って バッグヤードを目にしたとき とても穏やかな気持ちになった そこには何も無い 花さえ生えていない でも見えない不思議な何かが息衝いていた ――ここにこの種を植えて欲しいんだ ――何の花の種なの ――何だろうね。色んな種類を混ぜてあるから咲いてからのお楽しみ ――でも季節の花だってあるでしょう ――咲く花と咲かない花があるって言いたいんだね 頷くと男の人は笑って 持っていた袋を少し持ち上げた ――この種はね、魔法の種なんだ 私は吃驚して目を瞬いた ――今植えて水を沢山あげれば、明日には咲くよ ――嘘でしょう、そんなこと有り得ない ――何もかもやってみなきゃ分からないものだよ 確かにそうかもしれない 私は何かに付けて 出来ることと出来ないことを分別して 見えない何かから逃げていたから 私は男の人から袋の中の種を分けて貰って シャベルで土を掻き出し そこに種を植えて行った その間太陽は優しい光を落としてくれて 風は火照った身体を癒してくれた 植え終わったら如雨露で たっぷりと水をかけた ――綺麗なお花が咲きますように そう祈りながら 微かな願いにも確信を持って 夜が優しい青を紺碧に染め その絨毯に星のビーズが鏤められた 頂には三日月のランプが灯り 地上を緩やかに照らし出す ――ランタンの街は好き 夕食が終わって 男の人と窓辺で空を見ているとき その言葉が零れ落ちた ――どうして ――ネオンの街は嫌なところばかりなの ――例えばどんなところが嫌い ――とても、哀しいの ――環境が悪いのかい ――そう。環境と人と世界と悪魔と 私は俯いてしまった ネオンの街を思うと胸が苦しい ――ここはぎらぎらしたネオンもごちゃごちゃした人ごみも下品な笑い声もない ――そうだね、ここにあるのは自然と穏やかな時間だ ――だから好きなの 暫くの間沈黙が支配して 静かな夜の囁きが聞こえてくるようだった そのとき男の人が立ち上がって 私の手を引いて外へ出た ――どこに行くの ――ちょっとそこまで それっきり男の人は口を噤んで 私も何も話さなかった ネオンの街に居たころの 喧騒も煌びやかなネオンも 冷たい目の人たちも何も無い 真っ暗闇だけれど にっこり笑った三日月が 私を照らし出してくれている 暫く歩いて小高い丘に出た 男の人は三日月に手を翳して 何かを掴み取ったようだった ――手を出してごらん 言われた通りに手を出すと 男の人は3個の琥珀色のドロップを 私の手にぽとりと落とした ――これなあに ――ムーンドロップ。月の雫だよ 私はその一個を口に含んだ ――おいしい レモンのようなストロベリーのようなハチミツのような 色々な味が混ざった不思議な飴だった ――三日月の夜にはムーンドロップが落ちてくるんだよ ――とっても不思議 男の人は嬉しそうに私の頭を優しく撫でた ――ムーンドロップは優しい気持ちにさせてくれるんだ ――優しい気持ちに ――ランタンの街の人たちはこれを食べているから優しいのかもしれないね 私は首を横に振った ――ランタンの街の人たちはこれを食べなくても優しいわ 男の人は笑ってまた私の手を取った ――ありがとう ――どういたしまして 私たちは笑い合って 夜の散歩を楽しみながら家路に着いた 次の朝、男の人が宛がってくれた屋根裏から バッグヤードを見てとても驚いた 昨日は花ひとつ無かったのに 今日はまるで別世界に来たようだ 急いでバッグヤードに行くと 男の人が水を掛け終わったところだった ――おはよう ――おはよう。本当に本当にお花が咲いたわ 季節を問わず 様々な花が咲き誇っていた ローズにダフネ、リリーにプリムラ、ベビーズブレスにピアニー どの花も美しく可憐で 噎せ返るような香りに眩暈がした ――この花たちは人の姿を現しているね ――人の姿 男の人は近くのナルシスを見遣った ――ナルシスは一見綺麗な花だけれど、その草は毒だよ ――ローズは美しいけれど、棘があって傷付いてしまう ――サンフラワーは大らかで力強いだ ――コスモスは沢山咲くから協調性があって明るいね 目に付く花々を 人に擬えて説明する男の人の考えは 私には良く分かった 私の方を振り向いた男の人は 真剣な顔付きで言った ――世の中にはいい人も悪い人もいる。けれど毒や棘があったとしても綺麗な花を咲かせていると言うことは素晴らしいことだと思わないかい。例えば嫌いな人にだって、苦手な人にだって優しい心が無いわけじゃない 私は大きく頷いた。 ――足元を見てごらん 言われた通りに足元を見ると そこには黄色く愛らしい花が ひっそりと存在を主張していた ――ダンデライオン、たんぽぽ。この花は君だね 一体何を言い出すのだろうと 私は隣にしゃがみ込んだ男の人を見た ――君の心は剥き出しだ。痛いくらいにね ――剥き出しだから駄目なのね ――それは違うよ。剥き出しだから傷付き易いし、時には壊れてしまう。けれどそれは悪いことじゃないよ。心が剥き出しの人は一見弱そうに見えるけれど、人を思う力や自然や雰囲気を感じとる力、色々な感情に敏感なんだ 男の人は愛しそうにダンデライオンを見つめ それから私を見た ――君はそう言う人だけれど強い何かを持っているよ ――強い何かってなに ――それは僕には分からない。けれどダンデライオンのように地中深くに根を下ろして、ちょっとやそっとじゃ死なない。それが君 私は陽光を浴びたダンデライオンに 微かに触れた 涙が溢れて溢れて止まらなかった ――さぁ、君のすべきことは分かったね 私は頷いて涙を拭き 立ち上がって男の人を見上げた ――最後にひとつだけ教えて欲しいの ――なんだい ――ここはどこ 男の人はそっと笑って空を見上げた ――君の世界。君が思い描いた優しいランタンの街 ――それに私は子供のころが大好きだったから子供の姿なのね ――同時にボーダーラインでもある ――生と死の、でしょう 男の人は頷いて 私に微笑みかけた ――大丈夫だよ、君は 私も笑って大きく頷いた ――ありがとう。さようなら 私は手を振った 男の人も手を振り替えした 私は帰る ネオンの街へ 辛かったら ランタンの街を思い出せばいい あの花園を思い出せばいい あのダンデライオンを 思い出せばいい ++ 瞳を開けて見回すと 白い世界が広がっていた 繋がれているチューブ その先にある聖水 ――良かった、気が付いたね 覗き込む顔に 私まで頬が緩んだ ――ありがとう ――何が ――私が死なないように祈っててくれたんでしょう ――何のことかな 彼はしらばっくれて 意味有り気な笑みを浮かべた 何故私はランタンの街で 彼のことを思い出さなかったのだろう 私の大切な人を ――もうこんなことするんじゃないよ ――うん 私にはランタンの街の花園がある 色々な人々の 色々な花々 だからきっと大丈夫 息苦しいネオンの街でも 私は大地に根を下ろす ダンデライオンなのだから work of 2004 back? |